エリザベス・ムーン?「くらやみの速さはどれくらい」 [活字中毒症]
くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)
- 作者: エリザベス・ムーン
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/12/10
- メディア: 文庫
久しぶりに書評というか感想というか思うところを。
今日は定期の診療でいつもの病院へ行って,瞳孔開きっ放し状態で車の運転も仕事も不可能!
というわけで
いわゆる「特別休暇」を貰って一日お休みです。
仕事できないって割にはブログを打てるんだなあ!なんて皮肉られそうですが,
そんなの当たり前の話で,そういう意味でなら
これでも「十分働いている」ということになるでしょう。
(意味不明?判らない人はこの本を読んでみましょう。)
視界はホワイトアウト寸前なので,確かに画面もキーボードも見辛いのです。
タイプミスや変換ミス満載なので実は編集し直しています。
さて話は戻って,「くらやみの速さはどれくらい」です。
SFです。今世紀版「アルジャーノン」だという評価らしい。
アルジャーノン自体は読んでいる筈だけど殆ど記憶に残っていません。
ですからふーんと言う感じです。
お話は自閉症で30代の男が主人公。
ちょっと先の未来が舞台。
そういう意味では,最近読んだカズオ・イシグロの
「わたしを離さないで」と似た感じ?でしょうか。
片や,自閉症,片や◯◯提供用△△ー△,
いずれも社会ではマイノリティーでありかつ「有用な存在」,
特殊な制約が先天的にあり,従って社会に出るにあたってはそれなりの特殊な教育が施され
かつ,そういうことの詳細が本人達にはすべて明かされているわけではない。
大きく違うところは,彼,彼女が「そうである」ということが
端から見て判る/判らない,存在そのものが迷惑に感じる人がいる/いないだろうか。
いずれにしても,個人の存在意義や,人生について考えさせられる。
「くらやみの速さはどれくらい」には時折数学的な記載があってとても楽しい。
自分のことはよく覚えていないけど,僕も自閉症気味だったのかなあと色々と思い出しながら読んでいる。
とはいってもこの本の主人公程才能?があるわけではない?けど。
フィクションですからどこまでが裏付けのある話なのかわかりません。
もちろんサイエンスフィクションですから,科学的な架空の設定は少なからずあるのですが,
通常のSFよりは圧倒的に少なくてそれこそ普通のフィクションでも十分通る程です。
医学的な話や臨床的な話がたくさん書いてあって,
特に自閉症な人が普段どう感じているかという記載が(当然ながら)多いのです。
で,それがどの程度裏付けがあるのかはよく判らない。
でも,読んでいると不思議になるほどと感じて,既思感!がある。
これが作戦(書き手の意図)なのか,そうではないのか?・・・悶々?
そういうわけです。
それでも,自転車の乗り方をどう覚えたのかといった話がいくつか記憶として語られるのですが,
そういう箇所を読んでいる時に不器用だった自分のこども時代を思い出すというわけです。
でもってあれは軽い自閉症だったのかな?と。それから今現在も。
特に花粉症で脳が少し「やられた」ような状態だと正に?
風邪をひいている,あるいはインフルエンザに罹っているといったような病気とは
自閉症は根本的に異なります。ウイルスは少なくとも直接は関係ないだろうし。
白黒がはっきりしているわけではなくて,
例えば視力のように,軽い近視から殆ど視力のない近視,そして全盲,あるいは色盲・・・
きっとそれと同じくらい,もしくはもっと多様に自閉症を巡る状態があるのだなあと
今更ながらに思います。
とにかく面白い本です。まだ読了はしていませんが・・・
(今日はいつもに比べて病院がほんの少し空いていた感じで,幾分速くすべての診療が終わり,待ち時間も若干少なかったというわけです)。最後の纏め方というか結末が気になっているので,
珈琲でもいれてこれからゆっくり読み切ります。
コメント 0